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2008年11月18日火曜日

★小学校高学年の読書メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


「ぼくの羊をさがして」


みなさん、もしとつ然家族から引きはなされ放ろうの旅にでる事になったらどうしますか?私ならさびしくてどうなってしまうかも想像できません。
この物語は牧羊犬の仔犬ジャックがとつ然家族から引きはなされ放ろうの旅に出ることになりやがてこ独な少年ルークと出会い最後には自分の夢をかなえてりっぱな牧羊犬になるという話です。
物語の中でジャックはいつも羊を探して夢見ていますが、現実ではなかなか羊は見つからなくて、つらいことや悲しいことばかりです。そんなジャックのことを私はとても強い仔犬だと思いました。そしてはじめは仔犬だったジャックがかずかずの経験をしながら強い犬に変わっていくところがとても心に残りました。そして自分ならジャックのように強く一人で生きていくことができるのだろうか、もう一度よく考えてみました。
「ぼくの羊をさがして」という題名にこめられている意味は、ジャックが強くくじけないでどうやって生きていったかということではないのでしょうか。
私はいつでも夢を忘れず、強く願うことがどんなときでもくじけないで生きていく勇気をあたえてくれる力になるのだろうと考えました。
読んでいくうちに夢中になり私は自分がジャックになってしまった様な気持ちになっていきました。現実の私は父・母・姉のやさしい家族がいて幸せです。そしてそれが当たり前のことだと思い生活してきました。でもこの本を読んで「本当の幸せ」についても考えさせられました。おじいさんのどうしたら幸せになれるのか大事なものがある。「それは自分の一生は役に立った、と最後に思えることだ。自分なりに考え、努力をし、世の中をすこしは住みよい場所にした、と思えることだよ。」という言葉に答えを見つけたような気がしました。これからの人生ではさまざまな困難があるかもしれませんが、私もその言葉のように生きていきたいと思いました。今の私は「羊をさがして」いる所だと思いますがいつかジャックのように一番の居場所をみつけ夜空を見あげて月をみたいと思います。


さいたま市立大牧小学校5年 水谷万由子

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★小学校中学年の読書メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


「あふれた愛」


― 生かされている -
愛ってなんだろう。幸せってなんだろう。命ってなんだろう。”十四年も生きて今更”浮かんだ疑問。でも、人間を含めて生き物の「根本の一番大切な部分」のような気がした。そして、周りを見ると見えてくる、自分の存在を感じることが出来た。
この本には、ある日突然、『命』と『愛』の尊さに直面する人。『死』が如何に残った者の心の時間を止め傷を作るのかが描かれている。本を読み終えて自分の目線に戻った時、読む前とは世界が変わって本の題名の通り『あふれた愛』に気付くことが出来る。自分で「感じよう」と意識するだけで、見えてくる新しい世界を知ることが出来た。何より、生きていることの苦しみとその重さや貴さ、今ここにいられることの<幸せ>を痛感した。
私の周りには人が沢山いる。家族などの血の繋がっている人は勿論、友達や先生、強いて言えば隣の家の住人だって自分と繋がりのある人だ。『周り』と言ってしまうと、とても狭い世界の様だが大切なのは想われ、想っているかだと思う。つまり『心の距離』だと思う。私達は、自然と周りに支えられ見守られながら<生かされている>のだと実感した。
砂時計のように、止められない時の流れを積み重ねていく中で、私にはふと不安になることがある。それは漠然と「愛されているのかな」ということだ。二十四時間の中で繰り返される平穏な日常が、物足りなく感じてしまっていた。本の中の突然夫を亡くした女性は、「愛の定義なんて、あいまいなものだし、自分が愛だと信じていても、それが真実かどうか、疑いはつきまとうものでしょう?」
「まして、気持ちを確かめ合うはずの人が、いなくなってしまったのだから。」
と言っている。私には、確かめ合う人も過去もあると思うと、自然とその不安は消えていた。振り返れば温かい家庭の中にいた。十四歳になって、やっと気付いたことだけれどもそこには確かな愛があった。両親は、自分がいるせいで頑張らなければならなかった。でも、親の周りにも愛があり笑顔や支えがある。これは今、自分がいるおかげで気付いたことなのである。
「~のせい」⇔「~のおかげ」
「生きる」⇔「生かされている」
「~のせい」と考えると、悲観的になってしまう。でも、視点を変えれば希望と自信を持って、堂々と前を見据えることが出来た。裏側を知ろう、感じようと意識するだけで今までとは違う、新しい世界の存在を実感した。
砂時計のように、この命にも終わりが来るそれがいつなのか、あとどれくらい残されているのかは誰にも分からない。ただ、始まりがあるから終わりがあり、それは誰にも逆らえないことである。本には、
「あなたは…あのとき、何を思いましたか。死を感じましたか。」
と死んでしまった人に対して、疑問を投げ掛ける所がある。死を感じる余裕もなく、深い眠りに落ちてしまったのだろうか。或いは、一生が終わり未来がなくなることを感じるのだろうか。他人の死を通して『今』が宝物であるということに気付かされた。こうして過ごしている日々も、明日へと続いた道である。進むスピードは遅かれ早かれ人には未来があり、夢を抱えている。「まだ歩ける」と前を見ることも「巡り会えて幸せだ」と過去を思うことも「命」があるから出来ることなのだ。今まで歩んで来た道が正しいかなんて誰もわからない。ただ、どんなに辛い日々でも自分次第でどうにでも変えられるのだと思った。世界の歴史から見れば、一人の人間が生きていた時間なんてどれほど短いだろう。そんな一瞬の間で巡り会えたことをキセキと感じずにはいられなかった。だからこそ、この命が散ってゆくこともこの世界で全て受け入れていこうと思う。そして、この命が散るまでを『愛』であふれた幸せな時間にしたい。いつかこの命が散った時、周りの人にほめてもらえるような生き方をしたいと思った。
『幸せ』って『愛されること』だと思う。どんな自由でも、願いが叶っても、孤独だったら寂しいと思う。人のぬくもりを感じたり、想ってもらったりすることが一番『幸せ』なのではないかと思った。私は、この本に『愛』が自分を支えてくれているものだと気付かせてもらった。だから今度は自分の周りの人を、『愛』でいっぱいにしてあげたい。『感謝』を精一杯伝えて、一生懸命に生きたい。
花びらのように散っても、花を供えてくれる人がいれば幸せだと思う。点と点を結ぶ星座のように、星になっても誰かにとってきれいな絵が描けたらいいなと思う。沢山の人に支えられ、愛されている私は”今”これ以上になく『幸せ』だと感じる。周りの人に<生かされている>この”命”と”今”の一瞬を大切にしたいと思う。


さいたま市立大原中学校3年 金子奈々美

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★小学校低学年の読書メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


「て」ってすごい


このほんをよんでみようとおもったのは、「て」のいろんなことがしりたかったからです。
わたしがおもしろいとおもったところは、「て」をくちにそえると、こえがおおきくなったり、いつでもあそべることがあらためてわかったとこです。
このほんをよんで、てんてんでできているじ(てんじ)をはじめてしりました。わたしのちかくにもてんじがないか、さがしてみると、ジャムのびんやゆうびんきょくのおかねのきかいにありました。じがみえないひとも、てんじがあると「て」でよめます。
「て」をいたいところにあてるとなおったようにかんじたり、わたしはおかあさんに、「て」でぎゅっとされるとげんきがでます。「て」はきもちもあたたかくしてくれます。
「て」はいろんなことができて、すごいなぁとおもいました。
ほんのさいごに「もしかしたらてはこころがでたりはいったりするところなのかもしれない。」とかいてありましたが、わたしも「て」のことをしり、おなじきもちになりました。


さいたま市立大牧小学校1年 古賀晶

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★小学校中学年の読書メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


「そいつの名前はエメラルド」


お兄ちゃんが、妹のたん生日にハムスターを買いに出かけました。そこで、知らない商店がいのきみょうな小鳥屋にまよいこんで、灰色で茶色のまだらもようのエメラルドホシトカゲと出会った。お兄ちゃんは、そいつを見ているうちにかわいそうになり、店のおばあさんと「元気なときも、元気じゃないときも、きちんとせ話をする。」とやくそくしてそいつを買って帰りました。
妹は、すごく気に入って「エメラルド」と名前をつけてかうことになりました。しかし、草食と聞いていたエメラルドは、火のついたロウソクが大すきでした。食べるたびに、どんどん大きくなっていきました。だけど、図かんや百科じてんで調べても、正しいかいかたがわかりません。
ある日、お父さんと買ったお店に聞きに行きましたが、そのお店はどこにもありませんでした。そして、ふしぎなことにお父さんも子どものころに同じような体けんをしていたのです。
やがて、大きくせい長したエメラルドは、羽がはえてドラゴンとなり、月に向かってとんでいってしまいました。
この本の作者は、小さくてかわいいと思っても、おもちゃじゃなくてみんな生き物だから、ちゃんとせ話ができないなら、かんたんにかいたいと思ってはいけない。そして、いつまでも小さくてかわいいわけじゃなく、大きくせい長するということ。その先には、わかれがあって、どれだけさい後まで、あいじょうをこめて育てることができるかということを言いたかったのではないかと思います。
ぼくは、おばあちゃんの家でかっているねこのリボンに、すごくきらわれています。リボンは、ぼくが生まれる前からおばあちゃんの家にいて、今年で十三年になるそうです。
リボンは、すごくしんけいしつで、大きな音が大きらいです。でもぼくは、小さいころからわざと大きな声で近づいたり物を投げたりして、いじめています。
ぼくが、三、四さいのころ、ふうせんをリボンのしっぽにむすぶいたずらをしたことがありました。リボンは、びっくりして外ににげようとガラスまどにつっこんで、ガラスをわってしまったことがありました。それからは、ぼくがおばあちゃんの家に遊びに行ってる間は、ごはんの時間になってもほとんどすがたを見せません。
小さいころしてしまったいたずらは、リボンにいやな思いをさせてしまいました。少しずつゆるしてもられるように、やさしくしていきたいです。そして、いつか「グルグル」ののどを鳴らしてぼくの所に来てくれるようななかよしになりたいと思っています。


行田市立泉小学校3年 逸見圭吾

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