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2011年4月22日金曜日

★小学校高学年の読書メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス


「ハッピーバースデー命がかがやくとき」


みなさんは、たん生日といえば、どんなことを思いうかべますか?ケーキにごちそう、プレゼントに笑顔…。わたしの家では、家族みんなでテーブルを囲み、手をたたいて喜んでくれる楽しい日です。みんなからの「おめでとう」はとってもうれしい。でも、あすかの家ではどうでしょう。十一才のたん生日に家族から祝ってもらえず、
「あすかなんて生まなきゃよかった。」
とママから言われ、あすかはひどくきずつき声をなくしてしまいます。わたしはゆるせない気持ちでした。
わたしは、お母さんから
「生まれてきてくれてありがとう。」
と言われたことがあります。すべてのお母さんはみんなそうだと思っていました。それがふつうだと思っていました。でも、そう思わない親がいるなんて信じられませんでした。
「生まれてこなきゃよかった。」
とつらい思いをするあすかに何て声をかけたらいいのか分かりません。だれかに気持ちを分かってほしいと強く願っていたと思います。あすかを一番理解して、やさしく見守ったのは、おじいちゃんとおばあちゃんでした。おじいちゃん、おばあちゃんの愛情いっぱいの言葉によって元気を取りもどしたあすかは、声が出るようになり、自分の気持ちを言えるようになりました。
「おこるときは、思いっきりおこれ。悲しいときは、思いっきり泣け。」
おじいちゃんからの言葉が、あすかの心に残り生きていたのだと思います。
「おかえり、あすか。よかったね。」
わたしは心の中で言いました。あすかの心の芽が出て心のとびらが開いたしゅんかんです。学校でも、クラスのいじめに対して、大声で自分の気持ちをさけびました。わたしだったら自分がいじめられたらイヤだと思い、何も言えず見ているだけかもしれません。自分の意見をはっきり言えたあすかはすごいと思いました。おじいちゃんの言葉を思い出したからこそ大きな勇気となって友達を救う事もできたのだと思います。
「生まれてきてよかった。」
そう思えるようになったあすかにはく手を送りたいです。
命は大切なものです。この世界で無くなればいい命なんて一つも無いと思います。わたしは今、幸せです。家族に愛されているからです。いつも、たん生日を祝ってくれて支えになってくれる家族を大切に、そしてたった一つの自分の命を大事に生きていこうと思います。あすかのように雨でぬれている人がいたらそっとかさをさしかけてあげるやさしさをもてるようになりたいです。今は小さなあすかの心の芽。いつかたくさんの花がさきますように。心からハッピーバースデー!!


行田市立泉小学校5年 山村萌

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★中学生の読書メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


「本当の友だち」


「友だちは大切にしなさい。友だちとは仲良くしなさい。」
最近よくそう言われます。しかし、そのようなとき、ふと私は次のような疑問が頭に浮かびます。本当の友だちとはなんだろう。仲の良い友だちとはどのようなことを言うのだろう。友だちを大切にするというのはどういうことだろう。そのような私の問いかけにヒントをくれたのが、この「きみの友だち」という本です。
この物語には、交通事故の後遺症で左足が不自由になったことでまわりに壁を作り、クラスから浮いた存在となってしまった恵美ちゃんと、体が弱く病気がちでやはりクラスから少し浮いてしまっている由香ちゃんが出てきます。機転が利く恵美と、ちょっとグズな由香。あるとき「二人だけで寂しくないの?」と訊かれます。「私は恵美ちゃんとたくさんいた方がいい」という由香ちゃん。ふたりは、次第にかけがえのない友情を芽生えさせ、その絆を深めていきます。また、勉強もスポーツもでき、お互いライバル同士だったブンとモト。そういう人たちを交え、友だちの大切さとは何かをいろいろな角度からも考えさせてくれました。
私は、この物語を読んでいくうちに疑問に感じる点が二つありました。
まず、私が疑問に思っていたのは、この本に出てくる別の人が考えたのと同じように、このふたりは寂しくないのかな、という点です。なぜなら、私自身は友達はたくさんいた方が楽しいし、安心できるのではと思っているからです。しかし、いつもふたりは、ふたりだけでもとても楽しそうでした。「ふたりは性格も趣味も全然違うのに、何故そんなに楽しそうなのだろう、何故いつも一緒にいるのだろう。」私はずっと不思議でした。
もうひとつ疑問に思っていたのは、私にとって友だちとは、いつも一緒にいて、気が合ったり趣味が合ったりする人のことですが、この物語を読んでいて恵美ちゃんや由香ちゃんのことを見ていると、単に愛称や趣味が合うのとは少し違うような気がしていたことです。これらのことを解決してくれたのが、物語のラストで言う恵美ちゃんの言葉でした。「結局ね、気が合う、合わないじゃなくて松葉杖のわたしとぐずな由香ちゃんは歩く早さがおんなじだった、ってことだと思うの。」
この言葉を聞いて、私ははっとしました。「そういうことだったんだ。」と思いました。気の合う、合わないももちろん大切ですが、それよりも「歩く早さが同じ」だったからこそ、仲良くなれたんだと思いました。
では、何故「歩く早さが同じ」だと仲良くなれるのでしょうか。それはきっと、いつもふたりで寄り添い合って、正面から向き合ってこられたからだと思いました。「歩く早さ」は、実際に「歩く早さ」だけを意味しているのではなく、不安や悩みを分かち合い、いろいろな想いを心の奥で重ね合うということでもあると思います。恵美ちゃんと由香ちゃんは、真剣に付き合っていたから、仲良くなれたんだと思います。
私にも今、よく話す友だちがいます。いつも一緒にいる友だちです。その友だちとは、とても仲が良いです。でも、この本を読んでから「いつもその人と真剣に向き合っていたか。」と考えると、少し悩んでしまうところが出てきました。また最近は、携帯のメールでのやりとりも、友だちとのコミュニケーションで大きな位置を占めています。それによっても、悩みの相談などを通じて友情が深まることを感じていますが、どうしても気にしてしまうのがメールの数であったり、メールのやり取りをする友だちの数であったりになりがちです。私は、そういうこともきちんと考えながら、これは恵美ちゃんと由香ちゃんのように、相手とまっすぐ向き合っていきたいと思いました。
歩く早さは、友だちの間で決まると思います。そのペースが遅くても速くても、それぞれのペースがあれば、友情は深まる、ということをこの本に教えてもらいました。
「いなくなっても一生忘れない友だち」。離れていてもずっと心の中でつながっていて、同じ歩幅でいられるような本当の意味で「友だち」といえる関係を築いていけるように、相手のことをよく考えて真剣に向き合っていきたいです。


さいたま市立大原中学校2年 霜鳥里那子

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★小学校低学年の読書メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


「6わのからす」


学校の国語の教科書で「スイミー」を読みました。ぼくは、スイミーのお話が好きになりレオ・レオーニの書いた本を他にも読んでみたくなりました。町の図書館で「6わのからす」という本をかりてきました。
のうふがむぎを大切に作っていると、6わのからすがむぎを食べてしまいます。のうふはかかしを作ってからすたちをおいはらいました。すると、からすたちははっぱでとりの形のたこを作ってのうふをおどかせます。知えくらべをしているうちにむぎ畑はだめになってしまいました。ふくろうが「話し合いをしたらどうか」とのうふに教えて、からすたちとのうふはケンカではなく気もちを伝え合い仲良くなりました。
ぼくもいもうととおやつをとり合いケンカをすることがあります。はじめから仲良く半分にしていればよかったのに、いつまでもケンカをしているうちにおかあさんにおやつをかたづけられてしまいました。仲なおりをして半分ずつ食べた時、おやつがとてもおいしかったです。「ことばはまほうの力がある。」とふくろうが教えてくれました。思っていることを伝えないでこわい顔をしていたら、しぜんとケンカになってしまいます。ことばがなくてもえがおでいればやさしい気もちが伝わります。「スイミー」のお話も小さな魚と大きな魚に「ことばのまほう」があれば、同じ海の中で仲良くくらすことができたかもしれないと思いました。
日本語と英語のようにことばがちがうと気もちを伝えることがむずかしいです。この本もレオ・レオーニのことばを谷川しゅんたろうという人が訳しています。ぼくも国語だけでなく英語も勉強したいと思いました。


伊奈町立小針北小学校2年 高橋利武

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2011年4月21日木曜日

★小学校中学年の読書メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


「いのちの合体」


れいちゃんがかっていたセキセイインコのピピッチが死んでしまいました。ぼくは、二年生の時、青い色のセキセイインコの「キリ」をかっていました。キリは、病気で死んでしまいました。ピピッチと同じようにつめたくて、かたくて、はねがぬれたようにきたなくなって死んでしまいました。ぼくは、すごくつらくてしんじられなくてかなしかったです。だから、れいちゃんの気もちがすごくよくつたわってきました。でも、れいちゃんはもっとかなしかったと思います。それは、おはかにうめた時、カラスにピピッチをつれていかれて食べられてしまったからです。ぼくは、カラスのことをひどいヤツだと思いました。れいちゃんはカラスに石を投げました。ピピッチがいなくなったかなしみがくやしい気もちにかわったからだと思います。ぼくもれいちゃんだったらきっと石を投げると思います。でも、石があたってたおれてカラスのそばで、れいちゃんは、なでたり、生きててほしいとはげましました。
ようすけくんが、
「ピピッチは、カラスのせいで死んだわけじゃないでしょ。ピピッチは、カラスと合体したんだ。」
といいました。ぼくは、さいしょ意味がぜんぜん分かりませんでした。ぼくは、お父さんに言われたことがあります。
「野さいでも、魚でも、肉でもいのちをいただいているんだから、しっかりのこさず食べることが大切なんだよ。」
お父さんから言われた時は、よく分からなかったけどこの本を読んで意味が分かりました。カラスは本当にひどいヤツなんだろうか?せかい中の生き物は食べたり、食べられたりしています。ぼくたちのようにほかの生き物を食べないと生きていけない生き物がたくさんいます。ライオンはシマウマを、サメは、小魚を、カマキリはバッタやチョウを、スズメはミミズを、青虫は葉っぱをというように食べるものはいろいろだけど、どれもほかの生き物です。食べられる生き物にもみんな一つ一つ大切ないのちがあって、その大切ないのちをもらってぼくも生きています。野さいや魚や肉からえいようをもらって生きています。ぼくも、いろんないのちと合体しています。ひとつのいのちはたくさんのいのちにささえられてたくさんのべつのいのちにつながっていると思います。「食べる」「食べられる」は、ざんこくでかわいそうなことだけど生きていく中でとっても大切なことだと思いました。これからもいろいろないのちにかんしゃして「いのち」をいただいて生きていこうと思います。


行田市立泉小学校3年 山村竜也

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