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2012年3月29日木曜日

★小学校低学年の感謝メッセージ!★大賞

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教育ルネッサンス理事長賞


「しゅっぱーつ!」


「しゅっぱーつ!」と言ううんてんしさんのかけごえで、
“ポー”とすごい音できてきがなりSLは、しゅっぱつします。
山の中、林の中、てっきょうをわたり、
SLは、まっくろいけむりをモクモクとはきながら力つよくはしります。
ぼくは、こんなまっくろいSLが大すきです。
ちちぶ線のSLC58363はもう66さいで、
さい近ちょっとこしょうも多いけれど、元気いっぱいです。
ぼくが、うんてんしになるまでがんばって下さいね。


羽生市立須影小学校2年 阿久津武大

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★小学校中学年の感謝メッセージ!★大賞

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埼玉新聞社賞


「ぼくがいじけて」


ぼくがいじけてこまっている時いつもとなりにいるのは弟です。
いつもぼくにむかって
「大じょうぶ、お兄ちゃん。」
と言ってくれます。
ぼくは、
「大じょうぶだよ。」
とおもしろく言いかえします。
そう言われたらもういらいらしないでいつもの自分にもどります。
弟と遊んでいると、やっぱり兄弟はいいな。と思います。
弟と遊ぶのはあたりまえだと思っていたけど、
こんな力があるんだなぁ。と思いました。


加須市立三俣小学校4年 羽諸真希 

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★小学校高学年の感謝メッセージ!★大賞

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埼玉県教育長賞


『おとうさんへの感謝状』


お父さんへの感謝状
優しい時のお父さんが、大好きです。
どうして優しい時かと言うと、とてもきびしい時があるからです。
勉強には甘いけど、
例えば食事中や公共の場でのマナー、
日本語の使い方をまちがえると、
とても注意されます。
言い方が恐いので私は泣いてしまいます。
でも、ふだんはとても優しくて、
私が喜ぶギャグを言ったり、色々と作ったり、買ってくれたりします。
優しいだけのお父さんよりも愛情が感じられます。


新座市立片山小学校5年 恩田笑里

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★中学生の感謝メッセージ!★大賞

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審査委員長賞


『おばあちゃんへ』


おばあちゃんへ
おばあちゃん、
昔一緒におままごとをして遊んだことをまだ覚えていますか。
今寝たきりのおばあちゃんを見る度に
あの頃のことを思い出します。
おじいちゃんの帰りを待ちながらつみ木しをしましたね。
冷や汁に使うごまをすったりもしました。
まだ私のことを覚えていますか。
あの頃のことを忘れてしまったのかと思うと、寂しいです。
おばあちゃん、もう一度色々な話がしたいです。
早く元気になって下さい。


鴻巣市立川里中学校3年 松村紘子

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★小学校低学年の感謝メッセージ!★優秀賞

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埼玉県公立小学校校長会賞


「いっしょにあそぼ」


「いっしょにあそぼう」っておともだちが、いってくれると、
わたしは、すごくうれしいです。
りゆうは、そのことばだけで、たのしいきぶんになるからです。
わたしは、じぶんからいうのはにがてだけど、
たくさんのおともだちがほしいから、
わたしもこんどいってみようかな
「いっしょにあそぼ」


熊谷市立籠原小学校1年 加治あゆ美

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★小学校中学年の感謝メッセージ!★優秀賞

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さいたま市教育長賞



「…目の不自由な」


ぼくは、テレビで目の不自由な人が
ピアノのコンクールで優勝したことを知りました。
初めは、すごいなぁと思う位でしたが、
後から、本当にすごいことだと感じました。
ぼくが何かをする時は、まずは目で見るけど、
目の不自由な人はどうするのだろうと思いました。
ぼくができないことを
たくさんの身体の不自由な人たちがやっていると知り、
すごく勇気と元気をもらいました。
ぼくも、自分にしかできないことを見つけてがんばりたいです。


上里町立長幡小学校4年 井上連

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★小学校高学年の感謝メッセージ!★優秀賞

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川越市教育長賞


『私を変えた父の一言』


「私を変えた父の一言」
「人と比べたり人の結果を気にしたりせず頑張りなさい。
どんなときでも自分との勝負なんだから。」
クラスのほとんどが100点をとったテストで
私が85点をとり、私よりテストの点数が悪い子のことをひきあいに出して話した時の
父の私への一言でした。
くやしい気持ちをいいわけにかえた自分がはずかしくなりました。
私は将来学校の先生になりたいと考えています。
そのために、自分と勝負していきます。


本庄市立秋平小学校5年 堀口珠実

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★中学生の感謝メッセージ!★優秀賞

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埼玉県中学校長会賞


『小六の時の先生へ』


「小六の時の先生へ」
先生、六年生の時、いろいろ教えてくれてありがとうございました。ぼくが、みんなの前で話せない時とか、待ってくれてありがとうございました。みんなから遅れて出した図工の作品を遅くなったけど「ちゃんと出来ました」と、ロッカーの上に置いてくれてありがとうございます。中学校でがんばっていますと言ったら、すごく喜んでくれて、うれしかったです。先生が教えてくれた歴史の勉強が今でも大好きです。ありがとうございました。


川口市榛松中学校3年 岩森直希 

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★小学校低学年の感謝メッセージ!★感謝奨励賞

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日本教育公務員弘済会埼玉県支部賞


「ぼくは、じゅうどうが」


ぼくは、じゅうどうがつよくなりたい。
でも、ときどきれんしゅうがいやになる。
でもいまはやるきまんまんだ。
なぜなら大学せいのれんしゅうをみたからだ。
お父さんとおなじくらいのおにいさんがらんどりをしているとき
なげられてぼくのそばのたたみにとんできた。
ばんと大きいおとがしてぼくのいすがゆらゆらゆれた。
たたみがぬけそうだ。
あせがだらだらでていた。
おにいさんたちもつよくなりたいんだ。
ぼくだってがんばれる。


久喜市立青毛小学校1年 千葉弘暁 

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★小学校中学年の感謝メッセージ!★感謝奨励賞

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日本教育公務員弘済会埼玉県支部賞


「ハッピーバースデー」


ハッピバースデートゥーユー。
ひいおばあちゃん100才のおたん生日おめでとう!!
とうとう100才のおたん生日をむかえたね。
1年ぶりに会ったけど、去年より元気そうでよかった。
会ってぼくの顔を見た時に、「4年生だったよね。」
って言ってくれて、とてもうれしかったよ。
ひさしぶりに会ったのに、ぼくの事を覚えててくれて、
かんげきしました。
また来年も高知に会いに行くから元気で待っててね。
いつも心配してくれてありがとう。


さいたま市立泰平小学校4年 武市和真

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★小学校高学年の感謝メッセージ!★感謝奨励賞

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日本教育公務員弘済会埼玉県支部賞


「私が去年の持久走…」


私が去年の持久走大会の前日に読んだ本に
勇気づけてくれる内容がありました。
私はみんなとの競走となると、
必ずあきらめてしまうくせがあります。
さらに年々上がる順位とのプレッシャーもあり、
うちかつことができなくなりました。
そんな時読んだ本に、
「限界を作るのは、自分。自分で限界を作っては、いけない。」
と、書いてありました。
とても勇気をもらえたので、みなさんも挑戦してみてください。



春日部市立幸松小学校6年 村田弥桜菜

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★中学生の感謝メッセージ!★感謝奨励賞

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日本教育公務員弘済会埼玉県支部賞


「最近、身長も…」


最近、身長も越えたけど、
父にとって僕は小さい頃のままなのかな。
極度の心配症。
自分の事より家族を優先。
似合わないけど、
平気で僕が着なくなったシャツとか喜んで着てる。
時々おやじギャクが耳障りだけど、
多分理想の父親なんだと思う。
突き出たおなかは危険信号。
自分の身体を大切に。
僕も弟もまだまだその肩に乗せてもらわないと困ります。
昔から、ひっそりと、
でもベストポジションで僕らの試合を見てくれる姿、
結構好きです。


志木市立志木第二中学3年 垣内雄貴

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★小学校低学年の感謝メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


「ぼくには大すきなおじちゃん」


ぼくには大すきなおじちゃんがいる。
夏休みのはじめに仮面ライダーのスタンプラリーにつれていってくれた。
スタンプをあつめるため六つの地下てつにのった。
たんじょう日には仮面ライダーのえいがにもつれていってくれた。
夏のおわりには仮面ライダーのカードゲームをいっしょにやって楽しかった。
仮面ライダーはぜんぶで二十五人いるけど
おじちゃんはぼくにとって二十六人目のライダーだ。
おじちゃん、いつもありがとう。


新座市立東北小学校2年 大澤悠

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★小学校中学年の感謝メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


「…かれんちゃん」


私には、かれんちゃんというお姉ちゃんがいたはずでした。
でもお母さんのおなかから生まれて来られなかった・・・
と聞いて悲しくなりました。
私はかれんちゃんみたいに生きたくても生きられない命がある事を初めて知りました。
当たり前のようにうまれて、当たり前のように生きてきたけど、
それって当たり前じゃないって気付きました。
私、かれんちゃんの分も一生けん命生きるね。
命という時間を大切にするね。
かれんちゃん、空の上から見ていてね。


加須市立大桑小学校4年 戸嶋菜月

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★小学校高学年の感謝メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞



「天国にいる…」


天国にいる石随先生へ
天国に届きますように
石随先生、4年生の時お世話になりました。
私が5年生になる時、ご退職してしまったけど、
石随先生の4年4組が一番楽しいクラスでした。
ゆかいな石随先生、
いろんな世界の国々のお話をしていただいた事も覚えています。
以前もらった、ピラミッドの写真とサバクの砂、
それは5年生の冬、遺品になってしまいました。
ひつぎに入ってた石随先生は別人でした。
でも私の大切な、大好きな先生。


さいたま市立泰平小学校6年 大栗青空

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★中学生の感謝メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


『野菜をありがとう』


「野菜をありがとう」
宅急便を開けるとお日様の匂いがします。
真っ赤なトマトと鮮やかな緑色のキュウリがいっぱい。
おじいちゃん、今日も早起きしましたか。
太陽の光を浴びて熟したトマトは、
大きくてとても甘く自然がつまっています。
ゴーヤの様に大きく育ったキュウリは、
瑞々しくて河童の様に丸かじりがたまらない。
丹精込めて育てた野菜をいつもありがとう。
秋にもサツマイモを楽しみにしています。


志木市立志木第二中学校1年 鶴田有里

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★小学校低学年の感謝メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


「…、ひいおばあちゃん」


ぼくには、九十三さいのひいおばあちゃんがいます。
足の手じゅつをして車いすがないとうごけないのでしせつにいます。
だからひいおばあちゃんに会いによく行きます。
でもひいおばあちゃんはいつもぼくの名前をまちがえてよびます。
だけどぼくは気にしません。
会いに行くと、とてもよろこんでくれるからです。
これからも会いに行くから元気でがんばってね。
ぼくもがんばるよ。


熊谷市立籠原小学校2年 柿沼圭吾

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★小学校中学年の感謝メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


「トトロ…」


トトロ本当にありがとう。
「ホー、ホー、ホー、」
とながれるような低い鳴き声を聞いてわかりました。
その音色は時には力強く、
また、時にはやさしく聞こえてきました。
音色でトトロが気もちを表しているんだと思いました。
発表会でひく曲が、上手にひけなくてなやんでいたけれど、
自分の気もちをその音色にす直に表現することが
できるようになりました。
音楽を楽しむことを教えてくれたトトロ、
ますます気になります。


春日部市立幸松小学校3年 唐木映里花

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★小学校高学年の感謝メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


『わんぱく相撲の先生方へ』


僕が六年間わんぱく相撲を続けることができたのは、
厳しく、優しく、全身全霊で指導して下さった、
わんぱく相撲の先生方のお蔭です。
何度も逃げ出したい、やめたいと思った心の弱い僕を、
先生方の言葉が、心の強い僕へと変えて下さいました。
何百回もやったスクワット、
苦しかったしこふみ、
泣きながら泥だらけになったぶつかり稽古を忘れず、
これからも頑張っていきたいと思います。
ありがとうございました。


本庄市立秋平小学校6年 根岸雄一郎

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★中学生の感謝メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


『腰が曲がり年もとった…』


腰が曲がり年もとったのに毎日元気に働くおばあちゃん。
おばあちゃんの作った手料理の味つけはたまらなくおいしい。
この味はほかの人にはだせない味だ。
「雨ニモマケズ、風ニモマケズ。」
いつも作物を大切に育てているおじいちゃん。
色とりどりの野菜、精根こめて育てたお米。
二人が作ったものを食べ今日まで育つことができました。
おじいちゃんおばあちゃん今までありがとう。
そしてこれからもよろしくお願いします。


深谷市立岡部中学校3年 黒澤鷹偉

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★小学校低学年の感謝メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


『みほちゃんへ』


みほちゃんへ
いつも、とうこうはんで、いちばんまえであんぜんをかくにんしてくれて、ありがとう。
ほいくしょは、まいにち、おかあさんのじてんしゃのうしろにすわっていっていたけれど、
がっこうは、まいにち、おともだちといけるので、たのしいです。
わたしも、6ねんせいになったら、みほちゃんみたいな、
はんちょうさんになれるといいなとおもいました。


北本市立南小学校1年 髙野友見

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★小学校中学年の感謝メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


「…お姉ちゃんが大好き」


私はお姉ちゃんが大好きです。
お姉ちゃんは、人前ではすなおになれない私の事を、
いつも心配してくれます。
二人きりになった時には、話を聞いてくれます。
そしてうまく言えなくて、泣いてしまっても、
落ち着くまでまってくれます。
いつもは、いじわるだったり、からかったりするけど、
私はお姉ちゃんのそんな所もふくめて大好きです。
どんな時も力になってくれるお姉ちゃんは、
私の世界一、自まんのお姉ちゃんです。


和光市立新倉小学校4年 田中野絵

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★小学校高学年の感謝メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


『お蚕さんへ』


お蚕さんへ
夏休みに入って、二十四匹のあなた達に会いました。
五千年も前から人間と深いかかわりをもっていたのですね。
いままで日本の土台となり経済を支えてくれたあなた達は、
私自身にもたくさんのことを教えてくれました。
あなた達のまゆからとった糸は外国とのつながりでもあり、
輸出品の八十パーセントもしめていたのですね。
ありがとう。
何が起こるか分からない人生もこの夏休みに学んだことを忘れずに頑張ります。


上里町立長幡小学校6年 藤田夕楓

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★中学生の感謝メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


『私は小さい頃…』
私は小さい頃、同世代の子と接するのが、苦手だった。
「入れて」と、一言言えばいいだけなのに、
断られたり嫌がられたら、と考えると言えなかった。
かっこよく言うと、自分から心を開くのが怖かったのだ。
でも、あなたは、私を誘ってくれたね。
すごく嬉しかった。
今思うと、くだらない遊びだったけど楽しかった。
明るいあなたと一緒に過ごして、私は変わったと思う。
あなたが私を変えてくれたんだよ。
ありがとう。


秩父市立大田中学校3年 笠原千春

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★小学校低学年の読書メッセージ!★大賞

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教育ルネッサンス理事長賞


「ビロードうさぎ」


「ほんとうのものというのは、からだがどんなふうにできているか、ということではないんだよ。わたしたちの心とからだに、なにかがおこるってことなのだ。」おもちゃべやで一ばんふるい木ばが、あたらしいビロードうさぎにいったことばです。わたしは、「ほんとうのもの」ってなにかな?生きているどうぶつのことかな?とおもいました。「子どもが、ながいながいあいだ、おもちゃを、ただのあそび相手でなくて、しんからかわいがっていたとする。すると、おもちゃはほんとうのものになる。」と、木ばはいっていました。そして、ビロードうさぎにも、ほんとうに「ほんとうのもの」になれる日がきたのです。ぼうやは、あそぶときもねるときも、いつも一しょにいて、とても大せつにしてくれました。どんなにビロードうさぎがみすぼらしくなっても気にせず、「こんなおもちゃのどこがいいんでしょ」といわれたとき、「しつれいじゃないか。これは、おもちゃじゃないんだ。ほんとうのうさぎだよ。」と、いいかえしました。このときビロードうさぎは、じぶんがもうおもちゃではなく、ほんとうのうさぎになれたのだとしり、しんぞうがはれつしそうなほどうれしかったそうです。わたしも、じぶんのことのようにうれしい気もちになりました。そして、「ほんとうのもの」がなんなのか、わかったような気がしたのです。
わたしのおじいちゃんとおばあちゃんは、四十六年かんも一しょにくらしています。おじいちゃんは、おばあちゃんにはじめてあったとき、とてもかわいかったから大すきになって、一しょにくらすようになったといっていました。おばあちゃんも、おじいちゃんがかっこよかったからけっこんしたといっていました。二人はいま、年をとって、しわがたくさんあります。かわいくもかっこよくもないけれど、とてもなかよくくらしています。ときどき、「いまが一ばんしあわせ」とふしぎなことをいいます。きっと二人は、「ほんとうのもの」になっているのですね。
おはなしのさいご、ぼうやがしょうこうねつになって、ビロードうさぎがしょうどくのためにもやされることになったとき、うさぎの目からも、わたしの目からも、なみだがおちました。ビロードうさぎは、わたしにも、「ほんとうのもの」になっていたのかもしれません。きっとビロードうさぎが、やさしい心をもっていたからだとおもいます。ようせいがあらわれて、いのちのある、生きているうさぎにしてくれました。うさぎが「ぼくはいままで、ほんとうのものではなかったのですか?」ときくと、ようせいが、「ぼうやには、ほんとうのうさぎでした。ぼうやは、あなたを大すきでしたから。」と、こたえました。わたしは、とてもかんどうしました。
わたしも、おもちゃをはじめ、みのまわりのもの、そして、まわりの人たちのこともずっと大せつにして、おもいやりのあるきれいな心をもった人になりたいです。


さいたま市立大宮小学校1年 加藤月琉

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★小学校中学年の読書メッセージ!★大賞

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埼玉新聞社賞


「風をおいかけて・海へ」


最近、ギア付きの自転車を買ってもらったが、まだうまく乗りこなせないし子どもだけで遠くへ行ったこともない。一樹は、往復八十キロメートルを一日で走る計画を立てたけど、ぼくには、とてもできないと思った。しかし、読み進めていくと、一樹や拓人といっしょに走っているような感じがしていっきに読み終えてしまった。この本は、ぼくにとって、冒険の話しでもあるし友情の話でもあるように思えた。
すごくいきつい坂道や桜並木、道路を走る電車は、どれもぼくは体験したことはない。ただ、一樹が、
「でもやっぱ、海を見たときが一番だったよ。」
と言った時の気持ちは、松山に住んでいるおばあちゃんの家に行った時によく海に行っているので分かるような気がした。読んでいる時には本当にそこにいるように感じて、一樹や拓人といっしょに苦しかったり、おどろいたりしていた。このように今まで体験したことのない世界のことを読んでいくのは、ぼくにとって冒険をしているのと同じようだった。海ぞくが出てこなくてもまほう使いが出てこなくても、まちがいなく冒険をしていたと思う。
また、友情の物語は今までいくつかの本を読んだことはあるけれど今までの話とは少しちがって感じた。それは、一樹と拓人が「友だち未まん」と書かれていたのが原因かもしれないなと思った。友だち未まんは、算数だと友だちではない、ということになる。友だち未まんから友達になるのと全ぜん友達でないところから友達になるのとでは、かかる時間がちがうと思うので、あとちょっとで友達という意味の友だち未まんからはじまった冒険だったから、たった八時間で友達と思えるようになったのかもしれない。また、意地をはり合いながらいっしょに走ってゆく間に相手に負けたくないという気持ちが実は相手をはげますことになっていると思った。そして、最後はどうなったかというとぼくは、友達になれたと思う。それは、お互いに勉強ができる、スポーツができる、と相手の良いところを素直に認め合うことができたからだと思う。おじさんが言った、
「おまえらはりっぱな友だちじゃないか。」
という言葉で二人も気付いたし、ぼくもはっきり分かった。最初は変しつ者じゃないかとうたがう場面があったりしてはらはらしたけれど、おじさんとの出会いがなかったら二人は友だちにはならなかったかもしれない。最後にどうなるのか分からないところも冒険のおもしろいところだと思った。


さいたま市立岸町小学校4年 名越裕貴

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★小学校高学年の読書メッセージ!★大賞

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審査委員長賞


「余命一ヶ月の花嫁を読んで」


私はテレビで「余命一ヶ月の花嫁」のドキュメンタリーを見ました。「ガン」や「乳ガン」という病気は知っていましたが、治りょうをすれば、治る病気だと思っていました。千恵さんが死んでしまったと分かった時はとてもショックでした。
本を読んでみると千恵さんの苦しさや、つらさや、悲しさなどがテレビより伝わってきました。
千恵さんは二十三才の時”乳ガン”になりました。二十代、三十代でガンになると進行が早かったり、再発したりするそうです。千恵さんは自分でしこりを見つけたけれど二ヶ月病院に行くのが遅かっただけで早期発見にはならなかったのです。ガンという病気はたった二ヶ月で生存率が50%位になってしまう怖い病気なのです。ガンになると、抗ガン剤という薬を使って治りょうします。抗ガン剤を使うと、気持ちが悪くなったり、体がいたかったり、髪の毛がぬけてしまったりします。でも千恵さんはどんなにつらくてもお父さんや友達の前ではいつも笑顔でいました。髪の毛も抜けてしまった時は、ショックを受けていたけれどウィッグをつけて彼氏の太郎さんと一緒にいろんな所に出かけたりしました。私だったらつらくて泣いてばかりいると思います。千恵さんはすごいなぁと思いました。
千恵さんは左胸を全部切除する手術をしました。自分の体にあったものがなくなってしまうのはとてもつらい事だと思います。私には想像がつきません。
千恵さんは退院してから普通の生活ができるうれしさと、「病気に負けないぞ」という強さと「人間やればなんでもできる」という気持ちで過ごしていました。千恵さんは、とても強い人だと思いました。
半年後に千恵さんはまたガンになってしまいました。今度のガンは生存率が20%という前のガンよりとても大変な病気でした。検査をして一ヶ月位たって、病院の先生から千恵さんのお父さんや太郎さんに「千恵さんは余命一ヶ月です」と言われました。私は、自分の家族があと一ヶ月の命だと分かったら、どうするだろうと考えました。千恵さんのまわりの人達は、千恵さんがいつも笑っていられるようにしてあげました。私は、つらくてできないかもしれません。でも、私が泣いていても病気は治らないし、私の泣いた顔より笑った顔を覚えていてほしいと思いました。
千恵さんは太郎さんと結婚式をあげました。私は、一ヵ月後に亡くなってしまう人には見えないほど元気に見えて、とてもキレイで幸せそうでした。
千恵さんは、入院中にテレビ取材を受けて、早期発見の大切さや、治りょうの大変さを伝えてくれました。今では、千恵さんのまわりの人達が、千恵さんの思いを伝えていくために、乳ガン検診のキャンペーンをしたりしています。
私は、この本の中で太郎さんが入院中の千恵さんに「昼間は何をしているの?」と聞いた時、千恵さんは「生きている」と答えた所が、とても感動しました。
私は今、とても元気で家族もみんな元気であたりまえに生きているし、明日が来ます。これからは、「生きている」ということをもっと大事にして毎日を過ごしていきたいと思います。


行田市立泉小学校5年 林菜月

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。
●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・

 
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★中学生の読書メッセージ!★大賞

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埼玉県教育長賞


「火垂るの墓」


今年の夏もまたアニメ版の「火垂るの墓」をやっていました。小さい頃、絵本やアニメでこの作品を観て、可哀そうで、悲しくて、私は今まで観たり読んだりする勇気が持てませんでした。でも、母から「知ってた?清太ってあなたと同じ年齢なんだよ。」と言われて、私はドキッとしたのです。
初めてこの作品に出会った頃の私はちょうど節っちゃんと同じくらいで、節っちゃんに美味しいご飯やお菓子をお腹いっぱい食べさせてあげたくて、ポロポロ泣きました。
なのに、清太くん、ごめんなさい。私はあなたが優しいお兄ちゃんだということは覚えていても、どんな最後をとげたかは全く覚えていなかったんです。
改めて、原作を読みかえしました。
『蛍』ではなく、『火垂る』。どうして「火垂る」なのかとまず思いました。
読み終えた時、それは空襲で炎に包まれて焼ける人や家の火災、更に空襲や飢餓で無くなった人を野や寺で焼く時火の粉が天に舞、残り火となり、風のように乗って飛ぶ様子が蛍の頼りない小さい炎のようだからだと考えました。節っちゃんが作った蛍のお墓のように、人もまたあまりに小さい骨となって土に埋められていきました。
清太くん、あなたはボロキレのようになって、一人ぼっちで死んでしまった。
希望も生きる力も、人間の尊厳さえもすべて奪われて、悔しさ怒り悲しみ、人恋しさを胸に閉じ込めたまま死んでしまったんですね。
あなたは、プライドを持った少年でした。立派なご両親と可愛い妹と愛情に満ちた豊かな生活を送っていたのですよね。貧しい友人のために自分の物をあげることのできる少年でした。
戦争で母を失った絶望の中も、誇りに思う父が戦うのだから必ず勝つと信じ、それを支えに、小っちゃな節っちゃんを守るために懸命に生きました。
境遇が変わり、無償の愛をそそいでくれるのは両親だけなのだと知り、理不尽なおばさんの言葉や仕打ち、時々かけられる他人の憐みにプライドを傷つけられても、その憐みを受けることで命をつなぐしかなかった。
人を憎む心や、羨む心、そんな卑しさをいつのまにか自分の中に見てしまって、あなたは苦しかったのだと思います。
中学生のあなたに、節っちゃんを抱えて生きるなんて出来るはずがありません。それでも必死に命を守るために、生き抜くためにあなたは自分の思いもすべて押し殺していましたね。
助けが必要だったのは、節っちゃんだけじゃなくて、清太くん、あなたも同じでした。
戦争は、人間を変えてしまい、人間の一番酷いところもさらけだしてしまいます。
大人はそれを、『戦争のせいだ。』と言うでしょう。生きることに必死で、家族を守ることに必死で、だから他人の面倒なんてみる余裕はないのだと…。それを聞いた他の大人も言うでしょう。「そうだ、戦争がいけないんだ、仕方なかったよ。」と。
でも、子供は、守られねばならないのに手を差し伸べてもらえなかった子供は、どうすればよかったのでしょう。手を差し伸べられなかったら、自力で生きていくしかない。あなたは、自分にできることは全てやったと思います。
14歳の子供にできることは、大人から見たらおかしなことでしょうけど、だったら見ないふりをしないで見捨てないで、教えてあげればいい、助けてあげればいい。
本当にそうしてほしかった。
「働けば良かったのに…」そう言った人もいたでしょう。
でも清太くん、あなたは節っちゃんを守るためにどうしようもなかった。その日その日の食糧を手に入れるだけが精一杯でした。
あなたは、お母さんがひん死の状態で運ばれた病院で、そこにいた看護婦さんを綺麗だなあと見とれる、そんな少年でした。あたりまえの少年でした。
節っちゃんを守ることに疲れたでしょう。一人だったらどんなに楽思ったこともあるでしょう。でも、節っちゃんはあなたを無償の愛で包んでくれる唯一の肉親でした。荒れ果てた戦争の中にあって、汚れのない心を持ち続ける、愛おしい妹でした。
蛍を飛ばして、喜ぶ笑顔にどれだけ救われたでしょう。節っちゃんの中にご両親を感じることがあったでしょう。盗みをして殴られて蹴られて、傷つき帰ったあなたを幼い節っちゃんは、本当に母のように心配をしていました。私は、二人の様子を思うと、胸が熱くなります。穴を掘っただけの家だけど、ままごとみたいな生活だけど、蛍の光に似た辺りをほのかに明るくする優しい温かさを感じます。
あなたは、そんな「守るべき者」の為に自分を捨てて誰にも甘えず日々を生きました。
節っちゃんがいよいよ弱ったときに、あなたは、大切な者を失う現実に、耐えられなかったでしょう。池に泳ぎに行ったのは、怖かったからではないかと私には思えるのです。帰るのが怖くて、助けることのできない自分の無力さを忘れたくて・・・。ちょっとの間でも目をそむけてしまった・・・。
違っていたら、ごめんなさい。
節っちゃんを失ったあとのあなたは、生きていく力も失いました。栄養失調の体は、働くことも、冷静に頭を働かせてこれからのことを考える力もありませんでした。
今日は何日だったっけ、何日過ぎたのかな・・・と思いめぐらせることしかできないくらい弱っていきました。汚い、くさい、と嫌がられ人間として扱われず、あなたは人々が行きかう賑やかな駅で死んでしまいました。
無力な子供、戦争の最大の犠牲なのに、たくましく生き抜く力を持った人たちから助けてもらえず死んでいきました。
清太くん、あなたを知ったあと、これからの私ができることはなんでしょう。
「戦争の無い世界を!」と叫ぶこと?
私は、あなたの知らない平成という世界で生きています。幸せだし、夢もたくさん持っています。でも、世界では今でもどこかで戦争が起こっていて、命が失われ、飢餓で苦しんでいる人々がいます。助けを持っている人がいます。
まず、私は自分の命を守ろうと思います。大切にしようと思います。そして、心を正しくて育てようと思います。そして、心を正しく育てようと思います。苦しんでいる人がいることを知ろうと思います。それから両親への感謝、周りの人への感謝、食物への感謝を忘れないようにしたいと思います。
清太くんや節っちゃん、戦争で亡くなった多くの人、手をさし伸べることができなかったことを悔いながら生きている人がいることを、忘れないでいます。また、この地獄のような中を生き抜いた沢山の子供たち、多くの戦争体験者の方々の話を聞こうと思います。学ぼうと思います。
今、あなたと同じ学年の私は清太くんを思って、悔しさと悲しみでいっぱいです。こうして手紙を書いていてもジンワリした熱い涙が流れてきて体も震えます。戦争が憎いし、助けなかった多くの大人が嫌いです。
でも、大人になってもう一度読み返した時、差し伸べたくても差し伸べられないこともあるのだと、わかることがあるのかな・・・。「私だったら助けたい。心の中の戦争には負けたくない。」そう強く思います。その気持ちを持ち続けられるようにしたいです。これからは、清太くんに時々会いに行きますね。
それではまた。


埼玉大学教育学部附属中学校2年 池上富菓

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★小学校低学年の読書メッセージ!★優秀賞

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川越市教育長賞


「キンギョのてんこうせい」


わたしには、友だちがいます。だから、学校が楽しいです。でもトジオには、今まで友だちがいませんでした。ドーナツいけには、メダカやナマズやいろんな魚がいます。なのに、だれとも友だちではありませんでした。ドジョウのドジオは、いつもどろの中であそんだり、体がぬるぬるくねくねで、じゅぎょう中にじっとしていられません。だからほかのみんなは、ドジオのことをかわりものだと言うのです。でも、ドジオは、とても友だちがほしかったのです。ドジオは、いっしょにあそびたいなあとまわりの魚たちを見ていました。わたしは、友だちがほしくてもみんなに声をかけられないドジオがかわいそうに思いました。空にむかって、かみさまにおいのりしているドジオを見て、わたしもだれかドジオの友だちになってあげればいいなあと思いました。
ドーナツいけにおちてきたキンギョとドジオがじこしょうかいをしました。友だちになろうとお話している時、わたしも二年生になった時のことを思い出しました。はじめて会った友だちに、
「友だちになろう。」
と言って、
「うん、いいよ。」
と、へんじがかえってきた時と、にているなと思いました。だから、むねがドキドキしたのも、友だちになれた時のうれしい気もちもどっちもわかります。
二ひきは、まねっこあそびをしたり楽しそうでした。わたしもワクワクしました。そのあと、いけの中の魚たちがキンギョのことをめずらしがって、かんげい会をしました。たくさんの魚たちがキンギョと友だちになって、ダンスパーティーをしたり、ピクニックに行ったりしました。でもさいごには、ほかの魚のごはんを気もちわるいと言ってしまったキンギョに、みんなおこってしまいました。キンギョは、またひとりぼっちになってしまいました。ドジオはキンギョがほかの魚たちと楽しそうにしていた時もずっとひとりぼっちだったのに、ないているキンギョにやさしくしてあげました。キンギョは、ほかの魚たちとあそんでいた時は、ドジオのことをわすれていました。だから、ドジオにおこられても、きらわれてもしかたないのに、ドジオはキンギョのことを見ていてくれたのです。キンギョは、ドジオにわるいことをしちゃったなあとかんじたと思います。
ドジオとキンギョは、すがたもおよぎもぜんぜんちがいます。それでも本とうの友だちになれました。本とうの友だちって、なんでも同じじゃなくてもなれるんだと思いました。すきなことや、とくいなことがちがっても、いっしょにあそんだら楽しいと思いました。ドジオに、ずっとほしかった友だちができて
わたしもとってもうれしいです。


白岡町立篠津小学校2年 古谷優実

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★小学校中学年の読書メッセージ!★優秀賞

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さいたま市教育長賞


「五体不満足を読んで」


もし、わたしに手と足がなかったら・・・。乙武さんの写真を見た時、「かわいそう」と思いました。今のわたしに手足がないなんて考えられないからです。この本を読んでいるうちに、わたしが思ったことは、まちがいだと気づきました。それは、どんな時でも乙武さんが前を向いてがんばっていたからです。
たとえば、乙武さんが五年生の時の運動会のお話です。一〇〇メートルのときょう走を「走りたい」と言ったことです。乙武さんはおしりを引きずるようにして走るので、見ている人が「どうしてああいう子をみんなが見ている前で走らせるのか。かわいそうに。」と思うかもしれないという理由もあって、四年生までは、走れませんでした。でも、先生が、「今年はみんなといっしょに走りたいか?」と考えてくれたので、乙武さんはとてもうれしかったと思います。乙武さんは一〇〇メートルを走りきるのにとても時間がかかってしまうので、と中からのスタートで五〇メートルにしました。がんばりやの乙武さんは、さっそくお友だちと朝れんをはじめました。手と足がないのにとても元気でいろいろなことにがんばる乙武さんを思いうかべて、わたしはもっとがんばらなくちゃいけないなと何度も思いました。乙武さんがどれだけ大変なのかを知りたくて、家のろうかをおしりだけで走ってみましたが、とてもむずかしくてすぐにつかれてしまいました。乙武さんがふつうに歩いたり走ったりすることは、私にとってそうぞういじょうに大変なんだと思った時、乙武さんは本当にすごいなと思いました。
運動会では、六位だったけれど、みんなといっしょに走れたことと、さいごまで走りきれたよろこびで大まんぞくの乙武さんでした。私もとてもうれしかったです。
わたしは、生まれた時から手や足があって物を持っていったり投げたり、走ったり歩いたり出きます。それがあたりまえだと思っていました。でも、そうでない人もいて不自由かもしれないけど、乙武さんのように明るくがんばっているかもしれません。わたしは、そういう人たちを「かわいそうだな。」と見ていたのではずかしいです。
乙武さんの友だちは、みんな乙武さんのことが大好きです。友だちが考えた「オトちゃんルール。」これは、乙武さんもいっしょに遊べるように、乙武さんのための決まりです。わたしも、オトちゃんルールのように、その人のことを考えてあげるやさしい気持ちをもっていたいと思いました。
わたしは、この本を読んで、体の不自由な人に会った時は、え顔であいさつをしたり、話をしたりして友だちになれたらいいなあと思いました。そして、もし乙武さんに会えたら、オトちゃんルールを作って遊び、子どものころのオトちゃんのことを、たくさん聞きたいと思います。


羽生市立新郷第二小学校3年 根岸紗暉

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★小学校高学年の読書メッセージ!★優秀賞

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埼玉県公立小学校校長会賞


「電池が切れるまで」


どうして「電池が切れるまで」を読み感想文を書こうかと思った理由は、私と同い年だった女の子が主人公だったからです。だけど、読み進むうちに、軽い気持ちで読んでいたのがどんどん真剣な心になりぐいぐいと引っぱり込まれていきました。ゆきなちゃんの明るくて、やさしい前向きな心、重い病気なのになぜあんなに、すばらしい心で最後まで生きぬけたかは、私が思うにはきっとお父さん、お母さんがまっすぐな心に育ててくれたから、あんなに素直な女の子になったからだと思います。私が、神経芽細胞腫という重い病気になってしまったら、きっと頭の中はいつも「死」のことしかなく、暗い性格になってしまったと思います。みやしこゆきなちゃんが作った「命」という詩の中の、「命はとても大切だ 人間が生きるための電池みたいだ でも電池はいつかきれる 命もいつかはなくなる 電池はすぐにとりかえられるけど 命はそうかんたんにはとりかえられない」
という部分と、「命がないと人間は生きられない でも 「命なんかいらない。」といって命をむだにする人もいる まだたくさんの命がつかえるのに そんな人を見ると悲しくなる命は休むことなく働いているのに だから 私は命が疲れたと言うまで せいいっぱい生きよう」という二つの部分には、ゆきなちゃんの思いがこめられていていい部分だとも思うし、病気で生きたくても生きられない人もいるのに、命をむだにするということは、神様から与えられたものだから、いけないと思いました。私も、ゆきなちゃんをみならって一日一日をもっと大切に、生活していこうと思いました。院内学級で一生けんめいに勉強している子たち、そういう子たちが、世の中にいることも知りませんでした。それも、力いっぱい勉強にはげむすがたを想像すると、私が、毎日のように何も考えずに、勉強ができているのも、すごいことだと思いました。これからは、もっともっと勉強をすることを大事にして、それから友達、家族などいろいろな人を、今まで以上に大切にしていこうと思いました。
ゆきなちゃんは、病気でクスリを飲んだり、検査やいろいろなちりょうをしたりしていたい思いを、何年もして、やっと退院ができて、数年たって、もう病気には、ならないと思っていたのに、また、さいはつしてしまって、十一年間の人生で、楽しいことや、つらいことも、たくさんあったけど、十一年間よくがんばったなと思いました。私は、ゆきなちゃんが、天国から見ていても、はずかしくない自分になれるように生きていこうと思いました。


伊奈町立小針北小学校5年 今治美奈

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★中学生の読書メッセージ!★優秀賞

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埼玉県中学校長会賞


「白」


私は読んでいると少し怖く、不思議な世界に吸い込まれてしまうような芥川龍之介の作品が好きです。今回の「白」という作品は、友達を見捨てた犬の白の葛藤を描いた作品で私の大好きな本の一つになりました。
白は大の友達であった黒犬の「黒」が犬殺し(人間)に狙われているところを目撃しました。しかし白は、一目散に一人で逃げて黒を見殺しにしてしまいました。この時私は、白が黒に教えてあげていれば助かったのかも知れないのに、と思いました。しかし自分がもし白の立場だったら、と考えると白を責める気にはなれません。自分も白と同じ逃げてしまうと思ったからです。たしかに、見て見ぬふりをするのは良くないことです。世の中には自分の命をかけてまで他人を助ける立派な人がニュースで報道されています。そんな時に、尊敬の念を抱きまたこういう人になりたいという願望はあっても、実際にその立場に立って見ると、それはとても難しいことで簡単にできる事ではありません。一方で、いじめられている友達を助けようとする自分自身がいじめの対象になってしまうため、いじめる側に加わってしまうこともよく聞く話です。
黒を見捨てた白は急いで自分の家に戻りましたが、家に着いた白はいつもと様子が大きく違っていました。なんと、体の色があの見捨てた「黒」の色になっていたのです。今まで可愛がってもらっていた主人にも見捨てられ、一人ぼっちになった白は行く当てもなくとぼとぼと歩いていました。すると、人間の子ども達にいじめられている子犬を目撃しました。一瞬、あの時のようにその子犬を見捨てようとしましたが、白は凄まじい唸り声を洩らして吠えかかり、無事に子犬を助けることができました。私はこの時が、白は逃げてばかりの負け犬から強い意志を持ち前向きに生きようという気持ちへと移り変わっていった瞬間だと思います。
その後、白は危機にさらされている人達を助けるために、家事の現場や踏み切りに飛び込んだり、凶暴な狼や大蛇と戦ったりと、自分の命を顧みることなく何度も死ぬ覚悟で厳しい困難に立ち向かっていきました。それは、真っ黒の体を見るたびに自分の臆病に恥じる気持ちがおこり、この黒い色をした自分を殺したいからとも思っていたのかも知れません。そして白はたくさんの人を助けて、多くの人達から感謝されるようになっていきました。しかし、白は感謝されることを拒むかのようにすぐに姿をくらましていました。それは、人から感謝されるためにやったことではなく、黒への償いのためにせめて多くの人を助けようと考えたからだと思います。
そして心も体も疲れ切った白は自殺をする決心をしましたが、最後にもう一度だけでも大好きな主人の顔が見たいと家に帰ると、白は黒から白へと元の姿に戻っていて、飼い主に大喜びをされました。
さて、何故白が黒へと変わってしまったのかを考えると、私は白が見殺しにしてしまった白の自分に対する罪悪感が白の体の色の変化に繋がったのではないかと思います。そして、白が最後元の姿に戻れたのは、人を助けたことで自分自身も反省したし、あのときの後悔を今に生かし、またそれを克服した証拠ではないかと思います。
私はこの「白」という作品を通してたくさんのことを考えることができました。とりかえしのつかない大きな過ちを犯してしまって、そのことでもう前に進まなくなってしまうのもいけないし、逆にその失敗を深く反省しなければ、また同じ過ちを繰り返してしまうでしょう。大事なことは事実を受け止め、それを正しく理解し反省したうえで、失敗をもう二度と繰り返さないように自分を成長させていくことが大切なのではないかと思います。
しかし、今考えてみても、私がもしも白の立場にいたら友達を助けられるかどうかは分かりません。逆に、私が黒の立場だった時、私の友達は私を助けてくれるのでしょうか。そう考えると、友情というのは一体どんなものなのだろうと思ったり、怖くなったりしてしまいます。「大の友達」といってもいざとなると、白と黒のように関係が壊れてしまうことがあります。「自分を犠牲にしてもあの友達を助けられる」と自信を持って言えるのは、お互い気を遣わずに、本音の付き合いができる友達に限ってしまうのではないでしょうか。
私は、本音の付き合いができる友達を一人でも多く作っていきたいと考えています。でもそのために、私がどのような気持ちで人と接しなければならないか、私が人に何をしてあげられるかということを、この「白」という本は改めて考えさせてくれました。


さいたま市立大原中学校2年 大門遥

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★小学校低学年の読書メッセージ!★読書奨励賞

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日本教育公務員弘済会埼玉県支部賞
 
 
「ぼくたちのしあわせの王子」


ゆういちくんは、耳が聞こえないのでほちょうきをつけている男の子です。わたしは、「ほちょうき」を知らなかったので、お母さんに聞いてみました。それで、ほちょうきは音を大きくするきかいで、耳が聞こえない人がつかうものだということを教えてもらいました。そして、お母さんに「みみをふさいでごらん」と言われたので、耳に指を入れてお母さんに言ばを言ってもらったら「たばこ」が「たまご」に聞こえてしまいました。わたしは、お母さんの口のうごきで言ばを考えることもできたけれど、ゆういちくんはいつもこんなふうに聞こえていたのかなぁ、大へんだったろうなぁと思いました。
だから、ゆういちくんがツバメのやくをやりたいと手をあげて、女の子たちにはんたいされた時はとてもかわいそうだと思いました。なぜかと言うと、げきの日まではまだなん日もあるし、一生けんめいにがんばればきっとせいこうすると思ったからです。それに、わたしはメガネのことでからかわれたことがあったので、その時のゆういちくんのかなしくてくやしい気もちがとてもよくわかるような気がしました。
でも、ゆういちくんにはやさしいおともだちがいてよかったなぁと思います。けんたくんがたすけてくれて、ツバメのやくできるようになったからです。きっと、ゆういちくんはとてもうれしかっただろうし、その時にいつかけんたくんにおんがえしをしようと考えたと思いました。だから、その後、ころんでしまったけんたくんをささえてあげたり、しかられないようにお母さんにお話をして、つぎの日にありがとうと言われた時は、ゆういちくんもほっとしただろうし、わたしもとてもうれしくなりました。
この本を読んで、こまっている人をたすけてあげることは、とても大切だと思いました。わたしは、でん車で赤ちゃんをだっこしているお母さんを見た時には、弟といっしょに出かけた時のことを思いだして、せきをゆずるようにしています。声をかけるまでは少しはずかしかったりドキドキするけれど、ありがとうと言ってもらえることはうれしいし、だれかのやくに立つことはとても大切なことだと思うからです。これからも、こまっている人を見たらできるだけたすけたいし、いつもお世話になっているおじいちゃんが歩けなくなった時は、弟といっしょに車いすをおしてあげたいと思っています。そして、もしほちょうきをしている人がいたら、お母さんにおしえてもらったように、大きな声でゆっくりとお話をしてあげようと思いました。


さとえ学園小学校2年 三浦礼菜

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★小学校中学年の読書メッセージ!★読書奨励賞

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日本教育公務員弘済会埼玉県支部賞


「夢をあきらめない」


ぼくには、プロの和太鼓奏者になる夢があります。この夢をあきらめないという思いが、本の主人公である高橋さんと同じだったので、「夢をあきらめない」を読んでみました。
「いよいよラストスパートなのに足が、重く前に進みません。その分、がむしゃらに腕をふりました。」
この場面では、高橋さんの夢をあきらめない思いが、とても感じられます。
ぼくも、和太鼓の発表演奏の時、何曲もたたくのでとてもつかれてしまいます。でも最後の曲では、つかれを忘れて力をぜんぶ出してたたきます。
「高橋さんは、走ることに対してどんどんのめりこみ、寝ても覚めても、はしることばかりを考えるようになった。」
という場面では、高橋さんが、どれだけマラソンの事が好きなのはぼくにはよく分かります。ぼくと思いがにているからです。
ぼくも和太鼓の発表演奏をやればやるほど、もっと太鼓をたたいていたい、もっと上手になりたいと思うのです。ひまさえあれば、太鼓の曲を歌ったり、テーブルやイスなどを手をたたいて楽しんでいます。
「高橋さんがアテネ優勝したのは三十九歳の時。ふつうマラソンで記録を出すのは三十五歳が限界だと言われ、ピークとされる年齢をとうに過ぎています。けれども、高橋さんが、初めてマラソンを走ったのは三十一歳の時で、記録が伸び始めたのは三十五歳を過ぎてからなのです。」
ぼくは、なぜ四十三歳になってもそんなに記録を伸ばせるのか、考えました。その答えは、こうだと思います。日ごろから応援して下さる人に色いろなことを助けてもらい、感しゃしているから高橋さんは頑張れるのだと思います。
ぼくは、この本を読んで、分かったことがいくつかあります。一つ目は、一生懸命頑張ればいつか、かならず目標を達成できる事。二つ目は、自分を信じて努力すれば、夢がかなう事。三つ目は、あきらめないで夢に向かっていく事。これらができれば、夢はぜったいかなうと信じています。


さいたま市立岸町小学校4年 千葉脩斗

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★小学校高学年の読書メッセージ!★読書奨励賞

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日本教育公務員弘済会埼玉県支部賞


「ガラスのうさぎ」を読んで


平和な国、日本で生まれた育ったぼくは、戦争を知らない。終戦記念日や原ばくの日のニュースをなんとなく聞いてきたぼくは、この本を読んでから、今までとちがった気持ちで見ていることに気がついた。
主人公の江井敏子の家は、東京の両国でガラス職人の父が営むガラス工芸品工場だった。両親・兄二人・妹二人の七人家族で住んでいた。昭和十六年に始まった大東亜戦争は、敏子が今のぼくと同じ五年生になった昭和十八年には、配給制度というしくみでしか食べ物や衣服が手に入らないくらい、人々の生活を追いつめていた。コンビニやスーパーで、二十四時間何でも買えるぼく達の今の生活からは、考えられないくらしだ。
その年、現在の高校二年生と一年生にあたる敏子の兄二人が、軍隊に志願した。敏子の母が、二十才になるまで待つように止めても、「非国民(国民の義務を守らない者)になりたくない。」
と言って、二人は戦場に行ってしまった。戦争に行くことが国民の義務だとは、とてもおそろしいと感じた。家族がバラバラになる戦争とは、一体何のためにしたのだろうか。
昭和十九年の夏、敏子は妹二人と神奈川県二宮町へ学童疎開した。家に帰りたいと泣く、小学校一年生と四年生の妹達の面どうを見ながら、よその家で明るく生活する敏子は、とても大変だったと感心した。敏子自身の心細くてさびしくて、東京へ飛んで帰りたい気持ちが伝わってきて、思わずぼくの体にも力が入ってしまった。ホッとしたのは、敏子たちを預かってくれた西山さんの家族や、転校先の小学校の友達のやさしさだった。戦時中でも変わらない人々の心のやさしさが残っていたことは、とてもうれしく感じた。
昭和二十年三月十日、アメリカのばくげき機B29の大編隊が東京上空に現れ、雨あられのように焼いだんを落とし、東京の町を戦火に包む、東京大空しゅうを起こした。敏子は、疎開先から帰っていた妹達と母を失ってしまった。ぼくの家のすぐ近くを流れる隅田川でも、熱湯になった川に飛びこみ、苦しみながら多くの人々が死んでしまった、と聞いている。ゆりかもめが飛びかい、ゆったりと流れる今の隅田川からは、とても想像がつかない悲しさだ。一面の焼け野原・まっ黒にこげた死体の山・地ごくの様な光景の中から、敏子の父が作ったガラスのうさぎの置物が出てきた。半分とけて形がぐにゃぐにゃのうさぎは、何かをうったえているはずだ。このうさぎや広島の原ばくドームの様に、くずれてもなお形を残された物は、戦争のすさまじさを忘れてはいけないよ、と伝え続けてくれている。人間も、敏子のように心に深いキズを負いながらも生き残ってがんばってきた人々の方が、戦争で死んでしまった人々よりも、もしかしたらはるかにつらかったかもしれない。ぼく達の今の生活は、戦争のぎせい者達の悲しみと苦しみの上にあることを、決して忘れてはいけない、と強く思った。
やがて、敏子は目の前で父も機銃掃射で失うことになる。たった一人になってしまった敏子だが、泣くひまもなく、疎開先の友達の温かい協力を得て、父を火葬しお骨にした。ぼくにはたぶん、同じ事をできないと思った。敏子は本当に心の強い女の子だと思った。自分たちのことで精一ぱいのはずの友達の真心が、死のうと海辺へ向かった敏子をふみとどまらせてくれた力になったのだ、と思った。ぼくも、どんな時にでもおたがいに助け合えるような友達を持てるようになりたいと思った。
昭和二十年八月五日、戦争が終わった。日本は負けて、生き残った人々の生きていく戦いが新たに始まったのだ。生きて帰ってきた兄といっしょに、明日死ぬかもしれない命でも、勉強して一生けん命生きたいと願ってがんばる敏子は、それが敏子のできる皆への感謝・恩返しだと考えたのだと思う。立派だ。
ぼくの母方の祖父母は戦争体験者だ。祖父は歯科軍医として軍かんに乗り、祖母は女学生の時から海軍の水路部という所で働いた。戦時中の話を聞くと、生きぬいてきた祖父母にも、平和をありがとうと伝えたい。祖父母には、この平和になった日本で、いつもでも長生きしてほしいと心から願っている。
今も世界のどこかで、戦争やテロ事件が起きている。家や家族や友達を失っている人がたくさんいるのだ。戦争で死ぬことが運命だったなんて、ぼくは決して思いたくない。戦争をなくし平和を守るようあきらめずに皆で努力することが、戦争ぎせい者の人々への感謝になると思う。相手の国を思いやる心があれば、必ずできるはずだ。戦争を知らないぼく達だからこそできる、そしてしなくてはならない事は、人を殺し合う戦争を二度としないと、一人一人が強い考えを持つことだと、ぼくはそう思う。


中央区立明石小学校5年 大山照央

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★中学生の読書メッセージ!★読書奨励賞

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日本教育公務員弘済会埼玉県支部賞


「ありがとう大五郎」


「ありがとう大五郎」。この話を読み終えた時、私はなんだか胸の中が熱くなっていたことに気づいた。大五郎が教えてくれた、命の貴さと儚さのせいだろうか。
大五郎は淡路島で生まれた、手足のないダルマのような姿をしたサルだ。それだけを聞けば、きっと少しおどろかれる人もいるだろう。現に私もそうであった。それに「可哀相だ」とも思った。手も足もないということは歩くことも、何かを持ったり、運んだりすることもできない=普通のことができない。偏見だとは思うが、正直パッと頭にうかんでしまったのはそんな考えだった。障害があるのは大五郎のせいじゃないのに・・・。けれど大谷さんの家族は障害も含め、ありのままの大五郎を受け入れていた。二~三日しか生きられないといわれていた大五郎が延命できたのは、この家族のあたたかさがあったからこそだろう。わずかに灯った命の火が、どれだけのことを大谷さん達に残していってくれたのか・・・・・・。それは読んでいる私にも伝わってきた。
大五郎は常に大谷家のお母さんの傍にいた。そしてお母さんを求める末っ子の真穂ちゃんに嫉妬したり、喧嘩したり、ふてくされたりと、その姿や仕草はまるで人間の子供と同じだった。私はそんなサルとは思えない大五郎と家族(特に姉妹)とのやりとりが、自分の家を見ているような気がして、自然と笑みがこぼれていた。
大五郎が鏡に映った自分を見て、キーッと鳴いて怒ったというエピソードには私も驚いた。人間の家族の中で、一人(匹)だけ違う姿であったという事実がショックだった、というか自分も人間だと思っていたのだ。間違いなく、大五郎にはちゃんと人としての心があったのだ。そして大谷家の息子という自覚もきっと。めまぐるしく成長していく様子は驚きと感動に溢れていた。
私が一番ショックを受けた出来事は、家族と大五郎が河口湖へ旅行した時の話である。ある女の人が大五郎へ向かって投げた冷たい「なんて汚いサル!」という言葉。私は読んだ瞬間、自分が言われたわけではないのに、胸のあたりがとてもズキッとした。世の中には動物好きな人もいれば、きっと嫌いな人だっているはず。障害を持っていた大五郎のことを、すべての人が理解してくれるわけではない。でもその言葉は、大五郎を一人の息子、または弟だと思っていた大谷さん一家にはきっとやりきれない、悲しい言葉として心に刻まれてしまったと思う。
大五郎の事を「汚い」と叫んだその女の人には、動物の偏見があったのか、障害に偏見があったのかはわからない。けれどその出来事は、最初私が大五郎を「可哀相」と思ってしまった自分を反省させられる出来事であった。大五郎は何も可哀相なんかじゃなかった。一つの家族の輪の中で、あたたかさに包まれながら懸命に生きている。そのことを何より実感させられた。
また、別の意味でショックを受けた出来事がもう一つ。それはとても信じられないことであった。大五郎が立って、しかも歩いたことである。
手足がないのにどうやって・・・・・・と思ったが、大五郎は大五郎なりに、自分の持つハンディを乗り越えようという気持ちがあり、それが何かに挑戦し、あきらめない強さを生んでいたのだろう。
できようにないことにも、できないと決めつけずにどんどん挑戦していき努力をする大五郎。その姿からは、人間が何かをする上でも根本的に大切なことを教えられた。彼の前では、きっと障害なんて関係なかったのだ。
二年と四ヶ月という短い生涯を精一杯生きた大五郎。そんな短い年月の中でも、彼は一日一日を懸命に生き抜いてきた。そしてたくさんの思い出を残していってくれた。もし五郎が大谷さんに拾われず、淡路島でそのまま野生のサルとして暮らしていたらどうなっていたのだろう。もっと短い生涯を過ごし、自然に還されていたのだろうか。
だが、大五郎は間違いなく、あの家族の一員として、毎日を幸せに過ごしていた。何事にもあきらめなかった姿は、生きることにもあきらめない彼なりの姿勢だったと思う。
大五郎が精一杯の生命を燃やした記録、それは私の心にも大切なものを残していってくれた。命という一つのかけがえのない存在。自分に与えられたたった一つの命を、精一杯生きることを教えてくれた大五郎に、私からも伝えたい。「大五郎、本当にありがとう。」


さいたま市立大原中学校3年 大塚未稀

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★小学校低学年の読書メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


「たいせつなもの」


「どうしてあたらしいえんぴつつかわないの。」と、おかあさんがいいました。ほしかったえんぴつを、かってもらいました。でも、けずるとみじかくなるので、つかいませんでした。
「えんぴつは、なんのためにあるのかな。」
と、おかあさんは、かなしそうにいいました。
ほんのなかで、おじさんは、あめがふってもかさをさしませんでした。かさがぬれたり、こわれたりするのがいやだったからです。と、書いてあったけど、かさのいみがないなぁとおかしくなりました。そのとき、おかあさんがいったことを、おもいだしました。
「えんぴつはなんのためにあるのかな。」
じゃ、えをかくためにあるえんぴつは、けずってつかわないと、いみがないということにきづきました。
このほんとおなじで、わたしもたいせつにしているものを、つかわないでとっておくことがあったけど、みじかくなったえんぴつは、とてもかきづらかったので、あたらしいえんぴつをつかってみたら、すごくかきやすくてうれしいきもちになりました。
さいごには、おじさんもかさをさしました。たいせつにもっていたときより、かさをさしたときのほうが、わたしとおなじように、うれしかったとおもいます。
どんなにたいせつなものでも、つかわないといみがない、ということがわかりました。これからは、たいせつなものを、たいせつにつかおうと、おもいました。


伊奈町立小針北小学校1年 御廏敷叶

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★小学校中学年の読書メッセージ!★佳作

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教育ルネッサンス賞


「二十一世紀に生きる君たちへ」


「この本はなんてためになるんだろう。」これがこの本を読み終った時に、一番最初に思ったことです。
それは、今までの自分では考えたこともなかったものばかりだったからです。
この本を書いた司馬遼太郎さんは、れきしとは何ですか。と聞かれると、「それは、大きな世界です。かつてそんざいした何億という人生がそこにつみこまれている世界なのです。」と答えるようにしている。と書いていました。わたしは、れきしは今の世の中ができる前のお話としか思っていなかったのです。
また、「自分にきびしく、相手にやさしく」という言葉の、自分にきびしくのところは、読んでいて、少しはずかしくなりました。なぜなら、テストで間ちがっていても、「なんとかなるさ。」と思って、放置してしまうところがあったからです。
わたしは、夏休みに尾瀬へ山登りに行きました。6時間も歩くと知ったわたしは、とても不満でした。「そんなの、わたしにはぜっ対無理!」と決めつけていました。そして、と中で足がいたくなってしまいました。でも、がまんして目的地の山小屋まで、がんばって歩きました。この時は、「自分にきびしくできたなぁ。」と思いました。
今までの自分なら、始めからどうせ無理だとあきらめていたけれど、6時間も山道を歩いた事が、これから色々な事に挑戦していく自信がつきました。
最後に、司馬遼太郎さんが、わたし達に伝えてくれた、これらの言葉を大切に、しっかりと二十一世紀を歩んでいきたいです。


さいたま市立北浦和小学校4年 井手はる奈

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